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ご報告

このブログを休止して1年ちょっとの月日が経ってしまいました。

今だ再開の見通しはありませんが、今回は、この場を借りましてのご報告とさせて頂きます。


11.09.09 004
(11月9日 抜糸の時 東大動物病院にてのポッポ)





ポッポ、2010年2月23日(火)16時26分、
家族全員が見守る中、安らかに永眠しました。

’09.10月27日に脾臓摘出手術をして血管肉腫と判明、
140日から150日の余命告知を受けた後、
いちずの望みで抗がん剤治療をしてきましたが、
今年に入ってからは、緩和治療で頑張ってくれました。

運悪く、ポッポの手術の1ヶ月後に、
レンを抱えて家の階段を下りる時にアクシデントで私が骨折で2週間の手術入院。
レンは無事でしたが、その後の私は2ヶ月も不自由の身でしたが、
ポッポの通院は夫に頼んで、私は電話で主治医にポッポの状態を伝え、検査、治療と投薬を。

ポッポの2月19日の最後の通院の時は、私が骨折後初めてカートで連れてレン・チッチと行けました。
その時の血液検査は、全て悪く黄疸も進んでました。
いつもの皮下点滴をして貰って、もう先生には余命も聞かずに暗黙のまま、お礼しました。
(その前から、入院治療したら最後で元気になって家には帰れないと、通院治療にしました。)
今となっては、その時の最後の血液検査結果はポッポが頑張った証です。

その2日後の2月21日(日)の温かい午後に、
ポッポが大好きな近くの公園にカートに乗せてレンとチッチで行って来ました。
その前も2回ほど行きましたが、前回と今回は、ベンチで日向ぼっこの後に、
ポッポを地面に下ろしたらヨロヨロながら、結果は最後の大地を踏みしめた散歩となりました。

そして2月22日の夜の事、
それまでは、私とポッポの布団の寝床で寝なかったレンが、
ポッポに寄り添うように朝まで一緒に寝てました。

明けて23日(最期の日)の朝、あきらかにポッポの様子が違いました。
それまでの夜中に何度も動いて”えづく”を教える回数が少なくって、
久しぶりにちょっと熟睡出来たと思ったのですが、
今まで一度も弱音をはかないで鳴いた事がなかったポッポの
弱い「ピーピー」の声で目が覚めました。

すぐに上半身を抱えて、いつもの”えづき”の介護をするも出る物もなく、
その後、迷った挙句に、いつもの薬(吐き気止め3種と消炎鎮痛剤と胃薬を詰めたカプセル2個)を、
「ポーちゃん、オヤツだよ。」と、いつものように喉の奥に無理やり投与、
その1時間後に、今のポッポのご飯のニュートリカルを3cmほどあげて、
その後に吸い口のある容器で水を少し飲んだのが、ポッポが最後に口にした物でした。

そして、私が傍を離れると、弱い声で「ピーピー」の合間に、
弱弱しいながらビーグルの雄たけびの「あぉん!」を!

もしかしてトイレ?
昨日まではベランダのトイレに連れて行くと、両足で踏ん張ってシッコとウンピも出来ましたが、
ベランダに連れて行ったらヘタってしまって、とうとう立ち上がれなくなってしまいました。
今回の介護では初めて、シッコとウンピの介助で、
シッコは少しながら、ウンピは、3日振りに(殆ど食べてないのに)、タップリすっきり出してくれました。

その後も、時折弱弱しくピーピー、時折ワンと鳴いて、呼吸も早くなって来ました。
もう、ポッポとお別れの時が近づいている事を、家族みんなで感じてました。
ポッポが弱弱しくワン!と鳴く度に、レンとチッチはベランダに行ってワンワン叫んでました。
それはまるで、「神さま、まだポッポを迎えに来ないで!」と言ってるように聞こえました。

その後は、みんなで昼間はいつも過ごしているパソコン部屋でポッポを囲んで見守りました。
ポッポが大好きだったリューは、居た堪れずに予約を入れていた歯医者に行きました。

そろそろリューが帰って来る時間になって、ポッポの呼吸がまた早くなって来ました。
そしてリューが帰って来て、ポッポは安心したかのように顎呼吸に変わりました。
不思議な事に、ポッポは終始苦しそうに見えませんでした。
(いざの時のレンタル酸素も手配の準備をしてましたが、その必要なくこの時が来てしまいました。)

ポッポの顎が下がって来た時からの顔付きは、悟った仏さんの笑顔のようでした。

「ポッポ!」
と叫んで、後は言葉にならずに心で伝えました。
「もういいよ、頑張らなくていいよ!」

そのすぐ後、16時24分に大きく息を吸って、呼吸が弱くなって、
また16時25分に大きく息を吸って、さらに呼吸が弱くなって、
最後16時26分、全ての力を振り絞って息を吸って安らかに永久の眠りにつきました。

12年11ヶ月18日前のちょうどこの時刻の頃に、
レンのお腹から元気な産声をあげて誕生した感動を持って見送りました。

「ポッポ、生まれて来てありがとう、そして最期まで優しい愛をありがとう。」



生前にポッポの事を可愛がって頂いた皆さんに、心よりお礼申し上げます。


メールやコメントや電話や陰でご心配をお掛けしている皆さん、
お返事もしないまま、ご報告も遅れて申し訳ありません。

そして、ポッポに心配掛けない為にも、残った家族みなで前向きに歩んでいます。
私も、今月中旬にインプラントの抜釘手術に踏み切り、3日ほど入院し、また暫くは不自由な身になります。
もう暫く、心身共に落ち着くまで、
この報告をもって、皆さんへのお返事に代えさせて頂く無礼をお許しください。


撫しつけですが、お香典(お花)などは辞退させて頂き、お気持ちだけ受け取らせて頂きます。



最後に、手術後から最期の時までのポッポの画像をもって、
病気と闘って頑張っているお友達に、早くに逝ってしまったポッポの分まで、
穏やかで愉しい日々が長く続く事を願って止みません。






10.28.09 004
手術翌日の面会の時のポッポ


10.31.09 003
ポッポ手術4日目 「早くお家に帰りたいわん。。。」


11.03.09 001
1週間の入院後、やっと退院で、久々の近所の散歩の時。(左からチッチ・レン・ポッポ)


11.18.09 002
11月18日、いつもの公園で。(チッチ・ポッポ・レン)
この2日後に、私の階段転落で骨折の顛末で、この後暫くは画像はありません;


12.20.09 043
私の骨折から手術待機、2週間の入院を含めて一ヶ月の12月20日。
私の入院の後に食欲が無くなって、序序に戻って来るも療養食を食べられなくなって、
この日は年賀状の撮影で、母の手作りのウマウマ(腎臓に良くないけど;)に、
ポッポらしい会心の笑顔を見せてくれました^^(チッチ・レン・ポッポ)


01.29.10 002
その後も私の不自由な両松葉杖の生活で、その間は夫がポッポの通院に行くも、ジワジワと魔の手は迫って来ました。
1月29日、やっと松葉杖がとれて小春日和の午後、2ヶ月振りのお散歩に出ました。
通い慣れた近所の四季を飾る玄関前の紅白の梅が満開でポッポを迎えてくれました。



01.29.10 007
日向ぼっこのポッポを囲んで、レンもチッチも2ヶ月振りの公園を満喫中。



01.29.10 010
ちょこっと毛布を取って日光浴してみました。



02.05.10 020
その後は、強制給餌しながらも、食べては吐くの辛い日々の中、久々の親子の2ショット。



02.05.10 014
2月5日、↑と同じ日の夜。
痩せ細った中、私に強い目力で答えてくれました。



02.02.10 007
同じ日、それまで家族皆で寝ていたベッドで落ちる事があって、ポッポだけ地面の低反発マットに寝かせていたけど、
この後から、ポッポと私の寝床を作って貰い一緒に寝る事が出来ました。



02.09.10 003
2月9日のいつもの近くの公園で、
なじみのお友達に逢えて嬉しそうだったので、カートから出したら、
あちこち匂いをかんでみんなの前でシッコの伝達してました。




02.09.10 001
ニュートリカルをあげても、吐き気を抑える薬をあげても、間もなく吐いてしまうほど辛い時、
こんな眼差しをしてくれて、思わずシャッター押して、その後ハグハグで一緒に寝ました。



02.21.10 005
2月21日(日)レンとポッポ。
ポッポが亡くなる2日前、いつもの近くの公園にて。



02.23.10 006
ポッポ、笑顔で最期の時。

人は勿論、犬も猫も兎も鳥も、時には蛙さんにも友好的で、
本来の猟犬の素質からは程遠いし、生まれた時はバセットかの容姿のポッポでしたが、
お逢いしたネット友達や地域の犬友達、そして散歩の場でのおじいちゃんおばあちゃんや、
小さな子供達やその父兄の皆さんに可愛がって頂いて、幸せな犬生を過ごせたと思います。


あきさん、ポッポの追悼の記事ありがとう。
退院して元気になった頃のポッポに逢えて嬉しいです。画像頂きますね。


03.05.10 002

そして最後の画像は、
いおな姉さんのママから届いた、ポッポ・チッチの誕生日(3月10日)にと届いたプレゼントの、
沢山のウマウマと親子トリオお揃いの、ガチャピンTシャツのポッポでつ^^
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